Archive for March, 2006

ボニート!

Wednesday, March 29th, 2006

「ボニート」とはスペイン語で「かわいい」という意味。今日、プエルトリコ出身の大学教授の家で夕食をごちそうになったときに習得した言葉。ちょうど、先生のお母さんがプエルトリコから遊びに来ていた。英語があまり話せないので、先生に通訳してもらいながらの会話で、よく使われていたので自然と耳に残ってしまった。サンフランシスコに住んでから、スペイン語を習う必要性をしみじみと感じるようになった。もちろん、ラテンアメリカを中心とした、スペイン語圏からの移民が多いからだ。英語が通じないというわけでは決してない。片言ながらでも、何とか英語で通じ合うことができる。でも、ちょっとした時に、スペイン語が少しでも話せれば、どんなにかいいだろうと思ったことが何度もある。私もそうだったように、言葉が通じないということは、本当につらいことだ。何も悪いことをしているわけではないのに、相手に対し申し訳ない気持ちになったりする。確かにアメリカは英語が共通言語だが、だからと言って英語だけを強調するような社会はおかしい。スペイン語であれ、他言語であれ、同じコミュニーティーに英語以外の言語を話す住民がいるのなら、あいさつくらいその方の言語でしたい。たとえそれが間違った言い方だったとしても、きっと笑顔であいさつしてくれるにちがいない。私もいつか「ボニート」なスマイルで、スペイン語が話せれるようになればと思う。
写真:論文を指導してくれている教授、Dr. Toro-Morn と彼女のお母さん。公私ともども、本当にお世話になっている。

くら〜い道

Monday, March 27th, 2006

ちょっと都会の生活をしてみて気づいたこと。郊外は道幅も家も大きくてよいのだが、道が暗い。今日は雨が降っていたこともあり、道路の線がとても見にくく、運転がこわかった。夜はもちろんだが、日中も歩行する人がほとんどいないので、街灯もあまりない。夜もしーんとしている。こんなに暗かったのか〜、と運転しながら都会の灯りと音がちょぴり恋しかった一日だった。

住めば都

Thursday, March 23rd, 2006

昨日、1年ぶりに大学があるイリノイ州ブルーミントン・ノーマル市に帰って来た。いつまでも延ばし延ばしにしていた修士論文に、いい加減決着をつけるのがその目的。会いたい人たちもたくさんいたので、2週間ほどの今回の滞在をとても楽しみにしていた。何しろ約4年半暮らした街。たくさんの思い出がつまっている場所なので、どんな風に自分が受け止めるかにも興味があった。「もしかして、サンフランシスコに帰りたくなくなるかな、、、」などと、想像もしていたが、今の所の反応は以外にも冷静。懐かしさで、胸がジーンとくることもない。町自体がこの一年の間に変わったこともあるかもしれない。今まで知っている場所がなくなっていたり、新しお店なんかができていると、イメージががらりと変わる。そういえば、日本の実家に帰った時もそう感じた。引っ越しを何度も経験しているせいか、その場所、その場所が、いつの間にか自分の「家」になっていて、自分の居場所に帰って来るとほっとする。それがどんなところであれ、その環境に適応する能力があるんじゃないか、と自分では思っている。でも、サンフランシスコに引っ越してから、あまり楽しいことがなかったせいか、いつになったら自分の「家」になるのかな、と不安に思っていた。そんな中、住んでいる場所を一度離れたことで、そこが私の家になりつつあることが実感できた。「住めば都」とよく言うが、私の都はサンフランシスコなのだと、少しずつ感じるようになっていること、それだけでも、今回イリノイに帰って来てよかったと思う。えっ、そんなことで喜んでないでしてないで、しっかり修論終わらせろって!?へへへ、ばれたか…。

インド舞踊

Monday, March 20th, 2006

日本人学校の教え子の1人が、インド舞踊をならっている。昨日はその発表会があり、サンタクララまで行ってきた。大学の留学生によるお祭りで、何度かインド舞踊をみたことがある。インド出身の普通の学生が、どうしてこんなに踊れるのか、すごく不思議だったと同時に、すごいなー、と感心して見ていた。とはいえ、やはり素人は素人。何年も学生によるインド舞踊を見ていると、結構動きがパターン化してしまい、面白みに欠ける。だから、今回も、そんなに期待はしていなかった。教え子さえ見れれば…、なーんて思っていたが、それは、それは、素晴らしい舞だった。今まで見たインド舞踊とは訳がちがう。プロが踊っているわけでもないのに、やはり基礎からしっかり習っているからだろうか、足と手の動き、1つ1つがとってもきれいだ。「サンタクララには美味しいインド料理レストランがあるらしいから、一緒に来なさい!」と半ば強制連行した、ゆかいな仲間たち二人も、意外にも楽しんでいる様子だった。(後で聞いた話によると、きれいなインド人女性に見惚れていたことも、楽しさの要因だったらしい。やっぱそんなもんか。)外国、しかも多文化が共存しているアメリカで暮らしているからこそ、母国の文化に興味を持つことが多くなる。だからこそ、日本の美しい文化を、何一つ表現できない自分が情けなくなる。昨日もそんなことをぼやいていると、となりに座っていたパートナーが、「そんなこというなら、ぼくはご先祖様出身のドイツ文化の何一つ知らないよ。あ、ドイツ人のビールに対する情熱だけはちゃんと受け継いでるけどさ~。」と、慰めにもならないことを言っていた。かわいそうな(白人)アメリカ人である。
素敵なインド舞踊を見た後は、会場近くにあるインド料理レストランで、お腹がはちきれそうになるくらい、たくさん食べた。サンタクララ周辺には、サンフランシスコよりも美味しいインド料理屋さんがたくさんある。日曜の午後、ちょっと遠出をしてよかった。
コンサートを主催した、インド舞踊スクール。南部の伝統的な踊りらしい。
http://www.abhinaya.org/

映画三昧の日々

Friday, March 17th, 2006

我が家では、ほとんどレンタルビデオやに行かなくなって久しい。しかし、テレビの下には何かしらのレンタルDVDがある。Netflixという、いわゆるネットでDVDをレンタルするシステムを利用しているからだ。レンタル料は月極。いくら借りてもOKだが、新しい作品をみるためには、もちろん返却しなくてはならない。返却と行っても、DVDが送られて来る際に、すでに郵送料金が込みになっている封筒にいれて、ポストに投函するだけ。2-3日後には、自分のアカウントに保存されている、見たい映画のリストの優先順位の上から、新しいものが送られてくるという仕組み。映画の種類も豊富で、日本や外国映画、ドキュメンタリー、インディペンデントものなど、普通のレンタルビデオ屋ではおいていない作品が手に入るのも魅力の一つ。それに、Amazonのように、今まで観た作品の好みをインプットすることにより、こんなのはどう?とお勧めまでしてくれる。そのおかげで、パートナーなどは、100本以上の作品が、彼のお気に入りにリストにならんでいる。私はあまり頻繁に更新しないので、せいぜい20本くらい。私とゆかいな仲間たち、あわせると、常時3-4本の作品が、いつでも家にある。
週末などは、一気に何本かまとめてみたり、映画をみる本数はかなり増えた。ただ、そのおかげで、映画館に全くというほど行かなくなってしまった。それに、映画フリークの人が経営している、レンタルビデオ屋がどんどんつぶれていくのを目にすると、やはり心が痛む。Amazonもそうだが、安さ・便利さばかりを追求しすぎると、どこかに皺寄せが来てしまう。小さな食堂で育った私としては、やっぱり小規模経営のお店は応援したい。だから地元の本屋さんは大好きだし、個人経営のレンタルビデオ屋にも時々足を運ぶようにしている。両方のシステムをうまく使いこなす、そんな賢い消費者になれたらと思う。
☆以下は最近みた、お勧め作品。

「グッドナイト・グッドラック」
これぞまさしくジャーナリズム!と感動した作品。ジョージ・クルーニー、素直にかっこいい。

Regret to Inform (「悲報」といういう意味)
ベトナム戦争で夫を亡くした女性が、初めてベトナムの地を訪れるドキュメンタリー。北ベトナム女性たちの戦争による苦しみを前に、戦争は敵・味方なく、両サイドの女性、そして子どもを苦しめることを痛感する。ベトナムの子どもたちが、血と大粒の涙を流してるシーンには、いてもたってもいられなかった。もし、これが自分のかわいい甥っ子たちだったら、、、、。

恐ろしや〜

Thursday, March 16th, 2006

実は、2月に日本から家族が遊びに来ていた。高校生のつくしの子#3は2週間ほど、つくしの子母、つくしの子#2とその子どもたちは1週間。久しぶりに我が家は大にぎわいだった。かわいい、かわいい3歳と1歳の甥っ子達に会うことができ、バカ叔母はおおはしゃぎ♪ 二人ともちょっと風邪気味だとは知っていたが、ところ構わず頬をスリスリしたり、アツーイキスをなげかけていた。ところが、着いてから3日後、、、まず1歳の甥っ子が、激しい下痢、嘔吐、高熱におそわれた。かなりつらそうだったので、心配になり病院へ。次の日、何かだるいな~、と思っていた私も夜中に下痢と嘔吐が始まった。本当につらかった。トイレとバスタブが同じ場所にあるって、何て素晴らしいんだ!とつらいながらも、ありがたさをしみじみ感じた。(え、なぜって?それはご想像におまかせします…。)この風邪菌に、ゆかいな仲間たちもやられ、2日間会社をお休み。子どもの風邪って思ったより強力なんだ、おそろしぃ~、と思っていたが、実はもっと恐ろしいことが待ち受けていた。
今日、甥っ子がかかった病院から、治療費の請求書が届いた。こちらでは、治療費の請求は後日送られてくるシステム。保険会社とのやりとりや、検査等の費用などが、別に請求されてくるからだ。たかが1週間の旅行ということもあり、今回だれも海外保険に入っていなかった。病院に行く前にも、費用のことなどあれこれ考えたが、やはり命にはかえられない。第一、いくら高くても$200くらいだろう…とタカをくくっていた。そして、今日届いた請求書をあけてたまげた。$331、つまり約3万8千円。「えー、まじ!」確かに、時間外に診てもらったこともあるかもしれない。でも、ドクターに検診してもらっただけで、特別な検査もなにもしなかった。お薬だって、結局解熱剤だけだったし。私も日本に一時帰国しているとき、喘息の発作で夜間の救急病院に行った。器官拡張剤を吸入したり、点滴をした。そのときは保険からぬけていたので、実費払い。「高いだろうな~」、とドキドキしていたが、約1万ほどですんだ。
日本のように、健康保険制度がしっかりしている国に生まれると、医者にみてもらうことが当たり前のように思ってしまう。この間の「こころの病気」でふれたように、確かにアメリカは様々な点において、医療が進んでいる。でも、その恩恵をだれが受けられるかは、また別問題だ。ご存知の通り、アメリカには国民健康保険制度がない。この国の健康保険に対する考え方が、人間に与えられた権利という発想ではなく、個人の特権になっている以上、保険に加入するだけの余裕がない低所得者層(現実的には低・中間所得者層に多いのだが…)は、結局アメリカという経済大国、医療先進国で暮らしていても、喘息、栄養失調、肺炎など、他の先進国では考えられない病気で子どもを失うケースも少なくない。国民の健康(=命)まで資本主義化してしまうアメリカ。これこそ、恐ろしや~。

写真:甥っ子からの熱いラブコールに、喜ぶわたし。この後、最悪の事態が待ち受けていることは、まだだれも知らない…。あ、でも、甥っ子はちょーかわいいので、こんなに愛してもらえるなら、下痢でも嘔吐でも何でもこーい!というのがバカ叔母の本音です♪

今日の出来事

Wednesday, March 15th, 2006

サンフランシスコはアメリカと言えども、NHKやフジ系列のニュース、日本のドラマなども、普通にテレビで見ることができる。さすがサンフランシスコ。以前、中西部に住んでいたときは、日本の情報・日本のモノに乞えていたが、そんなこともここへ来て感じなくなった。何てたって去年の大晦日は、紅白やゆく年くる年をみながら過ごせた。田舎モノ(アメリカでね)の私にとっては、すっごいことである。これじゃー、アメリカにいる意味がない、とも思われるかもしれないが、長年住んでいると、正直アメリカのテレビ番組もチャンネルが多いだけで、中身はほとんど同じ。だからよけい、日本の番組を見ると、新鮮さを感じる。
新鮮さ、、、というと、やっぱり日本のニュースは面白い。「面白い」と思うその心は、ニュースを見ながら、「こんなことがニュースになるの!」と驚くこともあれば、「こんなんでいいのか、日本社会よ!」と真剣に激怒することもあるからだ。例えば今日は、後者のほう、、、。フジ系列ニュース(安藤&木村太郎キャスター)で猪口大臣が予算委員会に遅刻した、云々の話題だった。やっぱり遅刻はよくないよな。そんなことは、小学生でも知っている。でも、その大げさなことといったらありゃしない。3分遅刻したことにより、どれだけ審議に影響があったことや、彼女の気が緩んでる証拠だとか、自民党内にも波乱がとか、でてくるでてくる。ここまでは、先ほどのカテゴリーからすれば、「こんなことがニュースになるんだ」程度で終わったのだが、、、。次は猪口大臣のファッション、「春を思わせるフリフリドレス」について話題が移り、そして、名前は忘れたが有名な政治評論家からのコメント、「あの、フランス人形のできそこないみたいの、どうにかならんかね~。」(ブチッ←私の切れる音)もう一度言うが、遅刻はよくない。でも、国会審議で、堂々とZZZお昼寝してしまう、大物政治家のおじ様たちは一体どーなるの?それに、どう考えても「フランス人形のできそこない」発言は、大臣が女性であるがゆえに出てきた、とーってもレベルの低いコメントだ。第一、猪口大臣は男女共同参画の担当だよ。遅刻に対して平謝りするのもいいけど、ここはガツンとしめてほしい、猪口大臣。日本における女性の社会的向上を、真剣に実現するのであれば、こういうことをいとも簡単に発言できることから、まず考えるべきだろう。日本の情報がリアルタイムで得られる環境にいる今、やはり日本人として、そして女性として、私もその責任を感じている。(何だか、大学入試の論文のようなしめになってしまいました、、、、。)

ミステリースポット in サンタクルーズ

Tuesday, March 14th, 2006

昨日サンタクルーズに行ってきた。ミステリースポットという、低いところからボールを離してみると、なぜかボールが高いところに向かって転がっていったり、背の低い人と高い人が背比べをすると、あるスポットでは水平なのに低い人の方が、なぜか背が高くなる、などなど、摩訶不思議な現象が体験できるところに行ってきた。場所も森の奥深くにあり、昨日は雨降りだったこともあり、結構ミステリアスな雰囲気は出ていた。ガイドの人いわく、ここには特殊な重力が働いているんだとか…。小屋の中では、まっすぐ歩こうとしても、どうしても歩けなかったり、確かに変なんだけど、「これって、どう考えても目の錯覚を利用してるんじゃないの~」というのが、私やゆかいな仲間たちの意見。第一、あの小屋、確か日光江戸村にある、忍者屋敷でも同じような体験したような思い出が…。ただ、目の錯覚・平衡感覚の狂いを利用しているからか、小屋のあたりではかなり気分が悪くなり、私はほとんど目をつぶっていたので、あんまりえらそうなことはいえないけど。ツアーグループの一人が、科学者らしく、ガイドの人にかなりしつこく質問してたっけ。まあ、こういうところはあまり深く考えず、楽しむのが一番かもね。入場料$5を考えると、かなりお手ごろなスポットです。
http://www.mysteryspot.com/
写真は帰りにサンタクルーズのダウンタウンを散策していたときに、出会った全身ピンクに身を包んだおじさん。「写真いいですか?」と聞いたら、とっても素敵な笑顔でポーズしてくれました。このピンクおじさんの方が、よっぽどミステリアス!そういえば、私が小さい頃にも、地元に「ピンクおばさん」とよばれていた人がいたっけ。

ご近所づきあい

Thursday, March 9th, 2006

おそい朝食をとりながら、ふとだれかに見られてるような気がして、顔をあげると…。となりのネコちゃんだった。お隣には、30代半ばのカップルが住んでいる。引っ越してきてすぐ、ドアがオートロックだと知らず、カギを持たずに外に出てしまい、困ったことがある。ゆかいな仲間たちも会社にいて、仕方なくお隣に助けを求めにいった。ご近所に引越しをしたから、タオルを持ってご挨拶、なんていう習慣がないアメリカ社会。知らない人が来たら、ドアは開けないことが常識になりつつある。変な人だと思わないかな~、変な人だったらやだな~、なんて思いつつドアベルを押す。意外にもすぐに、人のよさそうな男性が中から現れ、事情を説明すると、嫌な顔一つせず電話をかしてくれた。結局、ペンキが窓枠にべったりついているため、鍵をかけなくても開かずの窓になっていた窓を、お隣の人と一緒に力づくで開け、一件落着。親切にしてくれたんだから、何かお礼でも…、と思いながらついついしそびれてしまっている。ご近所とのお付き合いは、確かにどこまでしていいか、線を引くのは難しい。でも、田舎のアメリカと違い、お隣と壁を共有せざるをえないような、住宅環境に住んでいる以上、やっぱりお隣さんといい関係を築くのは重要だと思う。今度何かの機会にお礼をしなくちゃ。
写真:左、私をじーっと見つめていたお隣のネコちゃん。右、昨日の残りものの朝食。ペンネパスタに、サンドライトマト、白ワイン、トマトペースト、玉ねぎで作ったソース、そして最後にヤギのチーズをかけたもの。久しぶりの大ヒットだった。

心の病気

Wednesday, March 8th, 2006

週に一回、セラピストに会いに行っている。通い始めてもうかれこれ4ヶ月になる。去年の秋くらいから、パニックアタック(呼吸が苦しくなり手足がしびれてくる)、一日中だるくてベッドから起きだせない、頭痛、などなど、精神的・身体的につらい状況が続いていたのが大きな理由。それまで飲んでいた精神安定剤のお薬だけでなく、ちゃんと心理学者にあったほうがいいとの友人の薦めもあり、割かし値段のリーズナブルな心理学研究所を見つけ、気の合うセラピストと出会うことができた。日本と異なり、ここアメリカでは、多くの人々がセラピストやカウンセラーを頻繁に利用する。また精神科でも、私のような軽度のうつ病と診断された者に対し、本当に様々な種類の薬が用意されている。薬で全て解決できるとは思っていないし(今でもどちらかというと薬は苦手)、大手薬品メーカーの売り上げ戦略が、裏で大きく影響していることも分かっている。ただ、薬であれ、セラピーやカウンセリングであれ、そういう選択があるということが、どんなにありがたいことか、こういう病気になってみて初めて分かった。心の病気は実際なってみないとそのつらさは計り知れない。特につらくてもがんばることが美徳とされている日本社会では、心の病気であっても、やる気がないとか、怠惰だと思われることを恐れ、きちんと対応しきれていないことが多いように思う。そういう私も、普通のお医者さんのように、悪いところを治してもらうのとは訳がちがうセラピーに、初めはちょっと戸惑いを感じた。50分のセッションのうち、大半が私のトークで、彼女にどうしたらいいか質問しても、逆に「どうしたいの?」と聞かれてしまう。でも、私の本当にとりとめない話の中から、重要なポイント、時には矛盾するポイントを指摘してくれることで、今まで気づかなかった自分の気持ちを発見したり、話しているうちに自然と気持ちの整理がついたりしている。何といっても、前より人ごみにでたり、車の運転をすることでパニックになることがほとんどなくなった。全てのことが一時停止になっているこの状況は今でもやはりつらいが、心の病気になって初めて自分のことをもう一度知るきっかけができ、それはそれでいいことだと思うようになってきたことも、セラピーに通っているおかげかもしれない。今日はたまたま3週間のお休みが続いた後の、久しぶりのセラピーだった。久しぶりに会ったせいか、今日はいつもに増して、私のトークにエンジンがかかっていた。終わったあと、さすがにのどがからからだったが、とってもすっきりした気分になれた。
通っているセラピストが所属する研究所。ここは利用者の収入によって、料金を設定してくれる。経済的・社会的・身体的問題を抱えた人々が暮らすサンフランシスコならではのシステムだ。http://www.sfprg.org/Home.html
一般のセラピストは1セッション(約1時間ほど)で$100以上。保険の適用が可能な場合と、そうでない場合があるので、やはりある一定の収入がないと、セラピーやカウンセリングを受けられなのは疑問に思う。低所得者の人こそ、心のケアーが本当は必要なのに…。